地域包括支援センターも来ました。
母がお金が無い、お金が無いと触れ回ってくれたおかげで地域包括支援センターまで話が行きました。
地域包括支援センターが来て母の話を聞いて帰ったようです。
でも私たちも逆に、相談してみました。
無年金の事。
母の困った行動の事。
すると、地域包括支援センターから、病院受診と、生活保護を進められました。
母の腹いせ
民生委員から、兄に電話がありました。
母の近況についてお聞きしたいことがあるのでお会いしたいと。
母が近所の人に「娘が生活費をくれないので私は死ぬしかない」「娘が私をいじめる」
と言って回っているということでした。
聞いたときに、「あ、やられた」
と思いました。母の腹いせであると。
しかしながらこの母の腹いせでやった行動が後の結果につながるのです。
母の主張
母の生活費で兄弟みんなで暗くなって居るところに、明るい顔して母が言いました。
「兄弟みんなで5万ずつくれたらいいよ。」
「一人5万で4人で20万、だったら私は生活できる。みんな稼いでるから大丈夫。」
シーン。みんなドン引きです。
沈黙を破ったのは妹でした。
「私は子育てしているから、ママの面倒は見られない!」
兄も、ぼそっと言いました。
「俺も子供も大学の費用があるから、お袋に五万も援助は無理」
それでもめげず、母は言いました。
「じゃあ、兄ちゃんと妹ちゃんは、3万でいいじゃん!で、お姉ちゃんとことりが十万ずつで」
…いや、総額増えてますやん。何を言うてはりまや橋。冗談は顔だけにしろ。
私「なんでお姉ちゃんと私が10万なのですか?」
母「ことりは子供いないし、お金持ちじゃない。姉ちゃんは水商売でぼろ儲けしてるから10万くらい…いいじゃん。」
姉「ことりだって生活があるんだよ。私だって、小料理屋なんて知れてて、つましくやってる。10万なんて無理よ。」
母「噓ばかり!あんたたちはケチなのよ。ことりなんか特に、子供もいないし、旦那もいて、お金なんていらないでしょ!育ててもらった親にお金出しなさいよ。姉ちゃんだっていつも男に酒ついでがっぽがっぽ儲けて、少しは出しなさい。二人とも金ばかり貯めて金の亡者か!」
私「私は自分で奨学金を借りて学校に行って、今の仕事をしてる。奨学金だって大変な思いで返したよ。その後、自分で家を買ってローンもある。お母さんにお金10万も上げたら生活できない。」
姉「悪いけど、お母さんが育てたという言葉の意味がよくわからない。お父さんとおばあちゃんが私たちを育てたの。お母さんは、家事もまともにしないし、すぐ実家に帰ってばかり。おばあちゃん亡くなってから、私たちはいつも汚い格好でろくな食事もなくてみじめに大きくなったのよ。」
母「親不孝者!出ていけ!」
話し合いはまとまらず、終了しました。
年金が無い⁉
法要で集まった時、兄より、衝撃的な発言がありました。
母、無年金でした(+_+)。
もちろん収入も無。
しかも家の維持管理費で年間30万かかるとのこと。
(税金+築30年以上なので…。)
今まで父が支払いしてくれていたので、誰も知らなかったんです。
兄が、お悔やみ課で手続きをしてくれた際にわかったようです。
家の維持費は兄弟で負担しても、生活費、どうしていくか頭が痛いです。
父のいない日々
父がいなくなって、姉は寝込みました。
糸が切れたように毎日寝ています。
私は葬儀後一日休んで仕事に復帰しました。
母とは連絡は取らないでいました。いつまでもは無視できない。
でも、また用ができれば電話を掛けてくる。
出来るだけ会いたくない。
でも七日の法要が始まります。
父は煙になりました。
火葬場への移動で喪主の兄と兄嫁が父に付き添いました。
私は母と。姉は体調不良で従妹の車で移動することに。妹は自身の子供と向かうと。
ああ。母と。嫌だ。
嫌な予感はすぐに的中しました。
母「ことりはいいわね~。そんなに泣けて。」
私「ママは悲しくないの、パパが亡くなって。40年連れ添ってきたんでしょ…」
母「嫌あ。あたしは、パパにいつもいじめられて、お金も自由にならなかったし。それよりあれでしょ、あたしは、妹ちゃんの安いファンデーション借りたから、泣いたら取れるし、ブスになるし。ことりはいいファンデーション使っているから、泣いても取れないから、泣けるのよ。姉ちゃんも大袈裟だね、何も倒れなくてもね、倒れて頭ぼさぼさで担がれてみっともないね。ことりはしっかりしててえらいよね。」
絶句。
この時の心情を一言で。
「こいつ殺してやりたい」
掴みかかりたかった。
でも、タクシー運転手さんの顔がミラー越しに見えたんです。
憐れみの視線。
母に対してか。私に対してか。わからないけど。ただ、タクシー運転手さんのおかげで母に暴力を振るわなくて済みました。
やっと火葬場へ到着。
父は煙になりました。
葬儀
そして葬儀がはじまりました。
やや白塗りですが化粧し、気に入ったワンピースの喪服を着て母は上機嫌。夫が亡くなった悲壮感は全くありません。
理解に苦しむ人です。
お経を聞いていると、時々理解できる言葉があります。段々悲しくなってきました。
80歳に届かなかった父の死は、早すぎると思うし、急過ぎたと。
悲しさが段々と込み上げて、私の眼からポロポロと溢れました。
はじめはポロポロ。次第に流れ落ちて止められません。マスクが濡れて息がしづらくなりました。
母は涼しい顔でいます。この人の人間性ってなんだろう。
でも母は見ないことにしました。
今日は父ちゃんだけの娘でいよう。
お経が終わり、一回休憩です。
急いでマスクを変えます。
次案内された時は、献花の用意がされていました。
式場の係が花をくれます。
顔近くにカサブランカを入れました。
コロナで人数が少ないので、二巡りが来ました。
次はアルストロメリアを。
手元に入れました。少し、手を握ってみました。
涙が止まらなくなりました。
(これを打ちながらまた泣いてなかなか進めません。)
本当に、涙、鼻水、ぐちゃぐちゃになりました。
姉が泣きすぎてふらふらになって従妹に支えられて退場するのを見ました。