寝てるより楽はなかりけり。

発達障害の母とHSPの娘の話です。

家庭内暴力の連鎖2

家庭内暴力の話が途中になっていました。

続きです。

ある日、父の姉妹が来て何か深刻に相談していました。

そして祖母がいなくなりました。

学校から帰って来ると祖母の布団までありませんでした。

姉が泣いていました。

「あいつがばあちゃんにご飯をあげていなかったから、おばちゃんたちがばあちゃんを連れていった。」

母が不貞腐れて言います。「作ってやったけど、食わんかったんじゃ。私は悪くありません!」

姉が激昂します。「毎日粥に梅干しでなんで人が生きていけると思うの!頭おかしい!だからばあちゃんもハンストしたんじゃない!」

母「私はちゃんとしていました!」

姉「何と何を作っていたの!」

母「…お粥とか。梅干しとか…。漬物とか。」

姉「世話もことりにさせてたし、ほんとに最悪。」

母「ことりに世話なんてさせていません!」

聞いていて、体の血液が逆流する感じがしました。

母は嘘つきだ。

私「おばあちゃんのオムツも変えてあげなかったし…。お水も手の届かない所に置いていじわるばかりしていた癖に…」

言い終わらなうちに母に突き飛ばされました。

不意打ちで尻もちをつきました。

その瞬間、姉が母に掴みかかろうとしていました。

姉が母に引っかかれ流血しています。

バチン!

母が吹き飛びました。

私が母を平手打ちしていました。

母にはじめて手を挙げてしまった。

母がみるみる涙ぐみます。

「うわ~ん。ことりが叩いた、叩いたよ~。」

子供のように泣き始めました。

その日以降、母にこつかれる事はなくなりました。

寝てるより他はなかりけり?

半月位、寝込みました。

食べられないし、動悸がひどく、立ってもいられない。

寝る以外出来なかったです。

薬を飲むと動悸が止まる。

症状が出て二ケ月になりますが、未だに、自分の担当エリアを通ると動悸が出ます。

6月からは、部署異動で復帰します。

 

環境変化に適応できず。

異動に慣れず、しんどいまま10日ほど過ぎ。段々眠れなくなり、胃痛が止まらなくなり。

物音に敏感になり、いきなり4キロ痩せました。

段々息苦しさも感じるようになりました。

12日目の夕方、めまい、耳鳴り、動悸が止まらなくなり、トイレで何度も吐き、定時で這うように帰りました。

 

翌日、たまらなくしんどく、心療内科へ受診しました。

待合いでもたまらなくしんどかった。

 

結局「適応障害」と診断され、処方がありました。今日で休んで一週間になります。

やっと文字が打てるようになりました。

母がショート利用中で本当に良かったです。

私事ながら

部署が異動になり毎日ヘロヘロです。

勤務4日で困難な方の対応丸投げとか。

ひどすぎやしませんかね。

申し送りも雑だし。

もうNSに戻りたい…。

あれから、さぎ子には連絡していません。する気もないです。

 

桜、きれいだあ。

妹が嫌い過ぎる。

またまたさぎ子の登場です。

最近、母の認知症が進んで来ました。

物忘れ、暴言、排泄の失敗と排泄物の隠蔽。

見つけた時は絶句しました。

最近は、慣れて来ましたが、カバンを開けたら尿取りパッド(使用済)なんて驚きます。

そんなことも家族で共有しておかなきゃと、さぎ子にも伝えた訳で。

「えーそんなことお、さぎ子ショックでえ、先の事なんかあ、かんがえられない」

なんかイラっとしました。

毎週末、母のパッドを探して、始末してみろよ。

普通にしゃべりやがれ、ぶりっ子さぎ子め。

気持ち悪いんだわ。40代後半のくせによ。なんで名前呼びかよ。

なんて思ったので、もうさぎ子には、母の状態は報告しないことにしました。

荒ぶっておるなあ。わたい。

 

家庭内暴力の連鎖

中学生二年になった姉は、不良になりました。

毎日たまり場に行き、帰ってきません。

 

母が帰ってきても、朝、味噌汁と大量のご飯を用意するだけ。

 

祖母のお世話も父しかしません。

昼間祖母は放置され、おしめもびしょ濡れ。

 

見かねて、私が見様見真似でおしめを変えるようになりました。

昔の布おしめで巻きおしめで、最後ナイロンのおこしを巻く方法です。

 

父が仕事から帰っても私と祖母しかいません。

母はいつも自分の実家にいます。

遅くに母と妹が帰宅し、朝の味噌汁と黄色いご飯が出ます。

急いで作ったまずい煮物も追加されることもあります。

 

父のイライラがつのるのでしょう。

「いつも、どこをほっつき歩いているんだ!」

怒りだします。

いつも母は謝ることもせず、ふてくされた態度を取ります。

 

そのうち、父の平手がさく裂し、母が金切り声で泣き叫びます。

そうして、父が飲みに出ていくのです。

 

父が飲んで帰った頃に帰宅した姉と出くわした時は大変です。

「この、不良娘!」

姉も平手打ちされます。

 

ただ姉は自分が悪いのはわかっているので黙っていました。

 

姉も父も、家に帰るのが嫌になっていたのです。

 

姉から母にの暴力もありました。

 

母が祖母に嫌がらせ行為をした時です。

母は、わざと寝たきりの祖母の手の届かない所へ、水を置いたり食事を置いたりするのです。祖母は大きい声が出せません。

それをみたら私は祖母の手の届く所に置きなおします。

 

姉はそれをみると、母を捕まえて、殴っていました。

「こいつは人間の屑だ。」

父も同様でした。

 

そしてやられた母が今度は私に来ます。

ねちねち、文句を言いながらついてきて私を軽く蹴ったり、こついたりします。

それは私が中学生になるまで続きました。

 

 

私と姉と。

母が生活費の使い込みをして、浮気的なこともあったようで、実家に帰されていました。

当時、兄は親戚宅へ。(その後親戚の養子になりました。)

姉と私が、父と祖母に育てられました。

母が、使い込みをしてツケで高価な着物や貴金属を買ってしまって父は借金の返済に追われて、家はいつも貧しくてピリピリしていました。

姉は家事の手伝いができるので、祖母に重宝されていましたが、7歳下の私は家事も上手く手伝えず、肩身が狭い思いをして、いつも祖母の顔色を見ていました。

遊びに行くにも、田舎で母の噂は有名で、「あの家の子」と指をさされるので、家からも出られません。

私は学校の図書室に入り浸り、毎日本を読んでいました。

毎日本を読みながら、早く大人になりたい、大人になって家を出たいと思って居ました。

姉は7歳上の分、余計いたたまれなかった、買い物一つ行くのも、人の眼が怖かったと後で聞きました。

そしてある日祖母が、倒れました。脳梗塞でした。

祖母が寝たきりになり母が帰ってきました。

姉は中学生になっていました。